先週の土曜日、『神戸大恐竜博』を楽しんだ後、「倚松庵」の夕涼み会に行ってきました。
「倚松庵」は、『刺青』や『春琴抄』そして『細雪』などで知られる文豪谷崎潤一郎の旧居です。神戸市東灘区住吉東町の住吉川沿いにあります。
「倚松庵」という名前は「松によりかかっているすまい」という意味で、住吉川沿いに松が多かったことにちなんだもので、谷崎は以下のような歌を詠んでいます。
我が庵はすみよし川の岸辺なるつつみの松のつゆしげきもと
けふよりはまつの木影をただ頼む身は下草の蓬なりけり
さだめなき身は住吉の川のべにかはらぬまつの色をたのまん
一方で、「倚松庵」の「松」は三人目にして最後の妻、松子夫人のことでもあり、「松子にたよるすまい」という意味もこめられていたそうです。
谷崎の住んでいた当時の倚松庵は現在の場所より150mほど南にありました。関東大震災後、関西に移り住んだ谷崎は昭和11年11月から18年11月までこの倚松庵に住み、昭和17年に執筆をはじめた『細雪』の中に描かれた住まいの様子はこの倚松庵がもとになっています。
その後、平成の世になって、倚松庵の旧所在地に六甲ライナーの橋脚を建設することになり、平成2年7月、倚松庵は現在の場所に移築されました。
現在、倚松庵は土曜日と日曜日だけ公開されていて、入館料は無料です。通常の開館時間は10:00~16:00ですが、年に一度の夕涼み会の2日間(今年は8月11・12日)だけは20:00まで開館しています。
僕が倚松庵に到着したのが16時過ぎでした。夕涼みというにはまだ早い時間なので、庭や家の中をゆっくり見てまわりました。
庭には、マツやヤマザクラ、ソメイヨシノ、センダン、ミカンなど様々な樹木が植えられています。
庭から見た屋敷はこんな感じです。
家は木造瓦葺二階建て、延床面積で約150平米です。1階には台所やお風呂、便所のほか、応接間、食堂、四畳半の和室(『細雪』では「六畳」として描かれています)があります。
これが食堂です。当時使われていた食卓が残っています。
ここは食堂の隣の和室です。
『細雪』の中ではこのように描かれています。
幸子を始め三人の姉妹たちは、西洋間の方を子供たちの遊び場所に明け渡して、昼間は大概食堂の西隣の、六畳の日本間へ来てごろごろしていた。・・・(略)・・・日中でも冷え冷えとした風が通り、家じゅうで一番涼しい部屋とされているので、三人は争ってその窓の前へ寄り集まって、畳に臥そべるようにしながら最も暑い午後の二、三時間を過ごした。
たしかに涼しい風が通り抜けてとても気持ちのいい部屋でした。
1階を見てまわったあと、2階に上がりました。2階には八畳、六畳、四畳半の3つの和室があります。
これが八畳の和室です。
窓からは庭がこんな風に見えます。谷崎もこんな風にして庭を眺めたのでしょうか。
六畳の和室には、谷崎の自筆の手紙など資料が展示されています。家主の都合でここを退去することになった際の、谷崎と家主との交渉の経緯など詳しく知ることができます。
そして、これが四畳半の和室です。
窓からは六甲ライナーが見えます。
電車が通るときはさすがに大きな音がしますが、それ以外の時間は不思議なほど静かです。蝉の声も普段聞いている声とは違ってなんとなく涼しく聞こえるから不思議です。
夕涼み会といっても、何か特別なイベントをするわけでもありません。めいめいが家や庭を見て回って往時をしのび、ときどき感想を語り合ったりしながら、静かに時をすごします。
僕は家も庭も見終わってしまったのですが、「夕涼み」というにはまだ明るすぎる時間だったので、テラスに出て、暗くなるのを待つことにしました。通りぬける風がとても涼しくて気持ちよかったのですが、残念なことに蚊がすごい。腕も足も蚊に刺されまくりながら待っていると、ようやく薄暗くなって夕涼みらしい雰囲気になりました。
しばらくこの雰囲気を味わいながら夕涼みをしてから、倚松庵をあとにしました。
特に派手な展示があるわけでもないので、いわゆる「インスタ映え」するような場所ではありませんが、たまにはこういうところで静かな時間を過ごすのもいいかなと思いました。