最近、兵隊を消耗品扱いすると国が亡ぶと言う記事を読んだので、その感想と記事には書かれていない、そうなる理由でも書いてみようと思います。
記事は第二次世界大戦の話でしたが、では今はそうでもないかと言うと、現実には人間は消耗品扱いです。
日本のニュースを見渡してみれば、やれブラック企業だサービス残業だ派遣切りだと、人員をコスト扱いしていかに使いつぶすか、多くの企業が考えています。
個人的な話を書くと、以前、某家電メーカで派遣として研究職についていたことがありますが、そこの役員から「お前の代わりはいくらでもいるぞ」なんて、とても素敵な言葉をいただいたことがあります。 …一応、リーマンショックの頃の、一部上場企業でのお話ですが。
前の、オリンピックの記事の時にも書きましたが、第二次世界大戦の末期とほぼ同じ状況なので、そう遠くない未来に限界は来ます。
さて、ではなぜそうなるのか?
前にも書いた成長曲線が関係してきます。
と言うのも、成長期の前半になってくると、商売で言うと物がジャンジャン売れる、物事が信じられないぐらいうまくいくので、そこにリソースがいくらあっても足りません。 当然、人も足りなくなりますので、ジャンジャン雇います。
それと、会社などでは営業も必要になりますが、それをサポートしたり商品を作り、発送したりクレーム対応するような定型業務を淡々とこなしてくれる、単純労働者が必要になってきます。
このころは競争も激しいので、人間間でいかに競争するかと言う心理が強くなり、人間が多いと言う認識が生まれます。
さて、成長期が後半に入ってくると、商売では思うように売り上げが上がらなくなり、これまでよりリソースを投入して何とか売り上げを伸ばそうとしますが、投入できるリソースにも限界があるので、経費削減をしないといけなくなります。
会社の場合、営業の経費削減を行うと売り上げが減ってしまうので(そう思い込んでいるので)、まずは商品を売るために発生する固定費…、定型業務にかかるコストを削減しようとします。
特に人件費は大きいので、現場の給料は安く抑えようとします。
それと、成長期の前半で活躍していた人々が出世して上に立っているので、彼らは競争の中で人が多いという認識を持っており、その認識を定型業務にも当てはめてしまいます。
定型業務は管理の仕事でもあるので、必要な仕事ではあるけど直接利益にはならないので、コストであるとして邪魔なものとして正当化してしまうのです。
これが、失われた20年の中で日本で起きたことでもあります。
特に、氷河期世代と呼ばれる世代は、バブル崩壊の影響もありましたが、それ以上に人数も多かったため、いくらでも代わりはいると、冷遇してしまいました。
残念ながら、会社を支えているはずの人々を、給料を奪う敵としていかに絞れるかをやってみて、気が付いてみたら会社を支えてくれている人々…、会社内で仕事をしてくれるのと、商品を買って応援してくれると言う意味でも、人がいなくなってしまったということです。
このように、人の価値も組織や歴史の流れの中で上下していきます。
今は、日本の場合では人の価値が最も低い時代だったので、今後、その認識も変わると思いますが…、ただ気がかりなのが、他国との経済競争を続ければどうなるかはわかりません。
もしかすると、ある所では人がないがしろにされるが、ある所では非常に大切にされる、そんな二重構造になるかもしれません。