思想哲学のないテクノロジーやアカデミックは流行らない

Steemitは起こるべくしてスケールする…なぜならそこに流れる思想哲学があるから。

"新しいテクノロジー(技術)あるいはアカデミック(学問)が、社会に実装されるためには、思想哲学がそこへ込められている必要がある"というのが自分の持論。
※アカデミックは形容詞ですが、便宜的に名詞として扱ってます。

思想哲学は、言い換えるなら価値観・考え方ともいえる。
企業でいうならミッション(理念)に近い。

新しいテクノロジーも、新しいアカデミックも、思想哲学を伴わなかった場合、小さなコミュニティで留まってしまい、マニアックの域を出ない。
技術者や学者が最新技術や最新の知見を駆使してロボットやサービスを作ったところで、それが自己満足に過ぎなければ社会に受け入れられたりしない。
未開拓の学術領域を研究して新たな知見を手に入れることは学者の醍醐味だけれど、それだけでは人々の間に流行らない。

現に介護×ITの領域では、現場と乖離したロボット開発が問題になっているという。
性能は良いかもしれないが、操作性が高度過ぎて現場の介護者・被介護者はついていけない。そんなロボットが多いという。

医療においても似たようなことが危惧されている。
今IBMが開発したWatsonが、人工知能技術を活かして、医学論文を大量に読み込んで一瞬で診断を下したり治療法をはじき出そうというチャレンジが行われている。
しかし、人工知能が瞬時に最適解を叩き出したとして、それがベストな選択肢であるかどうかを医師が判断することができないのであれば、あるいはどうしてその結論が導かれたのかその理由を理解することができないのであれば、医師はその結果を採用しようとはしないだろう。

技術や学問の発達…それだけでは、現場との乖離は避けられない。

アカデミックの語源となったAkadēmeiaは、古代ギリシアにプラトンが設立した学校である。
プラトンはソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師匠であった。
プラトンは、数学や自然学の学者であったが、それ以前に哲学者であり、美しさの本質を追求した。

元来、テクノロジーもアカデミックも、そのルーツには哲学がある。
美しさとは何か?生きるとは何か?世界とは何か?そういった哲学的探究の果てに科学や学問が発達していった。
学問を体系的に初めて整理したのはアリストテレス。そのアリストテレスが家庭教師をしたのがマケドニアのアレクサンドロス大王。
アレクサンドロス大王が、エジプトに作ったアレクサンドリアという都のムセイオン研究所では、ガリレオの時代より1500年以上も前の時代に、地球の自転・公転説が唱えられ、地球の外周を計測していたという。

思想哲学があるのとないのとでは何が違うか。
自分は思想哲学は羅針盤のようなものだと考えている。

先に述べたように、テクノロジーとアカデミックは人間の探究心ゆえに自己中心的に発展していく。
それだけでは想定外の方向へと突き進んでしまいかねない。技術者も学者も自分が今何のために研究しているのかわからない状況に陥りかねない。

しかし、新しいテクノロジーやアカデミックに、思想哲学が重ね合わされると、そこに情熱や目的意識が生まれる。
技術者や学者じゃない人にはシンプルな知的欲求だけでは響かない。
そこに信念や価値観が加わることによって、その技術や学問に興味を持つ人が出てくる。

新しいものは得てして不完全で、磨かれていない原石のようなもの。
それらは普通の人からしたら、道端の石ころにしか見えない。
でも、そこに思想哲学が込められていることを知った人の中から、共感し感銘を受け、支援したいと思う人が出てくる。
この人たちが、ファンになる。
イノベーション理論でいうアーリーアダプターだ。
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画像は"【イノベーター理論】市場に普及させる5つのマーケティング戦略"から引用

たとえ既存の技術や学術分野には、一見見栄えは劣っていて規模も利便性も低くても、そこにある考え方・価値観に共感した人たちがファンとなって支え続ける。
彼ら彼女らは可能性を信じ、応じるように原石は磨かれていき、徐々にその真価が発揮されていく。

今はもう世界的な大企業となったApple社はその最たる例だろう。
スティーブ・ジョブズのデザインや顧客の想像を超えることなどへの異常なまでのこだわり。
そこには彼だからこそ持つ哲学があった。
だからこそ、まだApple製品がポンコツな時代から、見守り続ける人がいた。
今では、あちこちに根強いファンがいる。

そして、ブロックチェーンとSteemitだ。
どちらも、新しい技術とそれを活かしたサービスだけれど、そこには他には見られない思想哲学がある。
ブロックチェーン自体にも、中央主権的な世界から脱却し、分散型社会の未来へという世界観が込められている。
Steemitも資本主義・実用主義的な思想から抜け出し、本当に価値のあるものが評価される時代を作ろうという意志が込められている。

だからこそ、自分はこれらの技術・サービスを評価する。
Steemitはまだまだひよこみたいなサービスで、正直言ってまだ使いにくい。
SEOは弱いし、SteemやらSteem Powerやらこんがらがる。
だからって、日本には競合となるMediumとかnoteとかはてなブログとか圧倒的に操作性の高いサービスがたくさんあるから、Steemitは流行らないかって?

そんな人たちはおそらく時代の流れ見誤っている。
今しか見えていない。合理的な判断は、現状は正しく認識すれど、可能性を見抜けるわけではない。
ピンチな状況は合理的な人はピンチと判断するが、たとえ非合理的でも、発想を転換できる人はピンチをチャンスに変えうるのと同じ話。

Steemitはそんじょそこらのサービスとは明らかに違う。
新しい経済へと導く思想がそこにはある。
ファンを引きつける哲学がそこにある限り、そのサービスは進化し続けるんだ。

これが、
自分がリスク(不確実性)を踏まえてでもSteemitに飛び込んだ理由。
サービスを開発するに先立って、まず哲学をじっくり勉強した理由。

そして、
これから自分が何を作るにせよ、会社を作るにせよクリニックを作るにせよ、必ず思想哲学を重ね合わせていきたいと思っている。
もはやそれは、ビジネスとは言わないな。
思想哲学の社会的実装…これが目指す到達地点だ。

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