昨日、 @sumi さんが売茶翁のことを記事にされていました。
この売茶翁という人についてのあらましは、 @sumi さんの記事をご覧いただければわかるのですが、少し追加の説明をさせてもらいます。
彼は延宝3年(1675年)の生まれ、幼少のころに両親をなくしたため、肥前の龍津寺に入って出家しました。その後は真面目に修行を重ね、師の没後は寺務を司っていましたが、享保7年(1722年)に弟弟子に後を託して寺を去り、自由の身となりました。その後は京都に移って「売茶」(いわば移動式喫茶店)の生活を始め、88歳で亡くなるまで、貧しくも自由な生き方を貫きました。当時としては驚異的な長寿ですね。
僧侶を含め当時の知識人にとって漢詩文は必須の教養でした。子供のころからお寺で修行していた売茶翁も漢詩文の教養を身につけ、みずからも漢詩を作りました。彼は専業の詩人ではありませんし、僧侶として高い地位にのぼったわけでもないので、その詩はあまり多くは残っていませんが、残された詩を見ると、独特の味わいがあります。 @sumi さんの記事がきっかけで、売茶翁の詩を読み直してみたのですが、面白いなと思った詩がいくつかあったので、二首ほど簡単に紹介させてもらいます。
通天橋開茶舗(通天橋に茶舗を開く)
茶具携来黄落中
竈焼松卵煮松風
通仙秘訣吾無隠
忘味応知滋味濃
茶具 携へ来たり 黄落の中
竈に松卵を焼いて松風を煮る
通仙の秘訣 吾 隠す無し
味を忘れて 応に知るべし 滋味の濃かなるを
(訳)茶道具をたずさえて黄葉散るなかやってきた
かまどで松ぼっくりを焼き、松風を煮るようにお茶を煮るのだ
仙人の境地に通じる煎茶の秘訣を私は隠しはしない、お教えしよう
味というものを忘れ去ってこそ、本当の奥深い味の濃さがわかるはずだ
なかなかよくないですか?承句(2句目)の「松風を煮る」というのもお洒落ですし、結句(4句目)の「味への執着を忘れてこそ本当の味がわかる」なんて深いですね。そういえば松ぼっくりを燃料にするのって、たかにい @camptakany がやってましたよね。売茶翁がキャンパーの先駆者がだったとは・・・。
なお、この詩、押韻のしかたに少し難があるのですが、自由人の詩に向かってそういう細かい話はやめておきましょう。
舎那殿前松下開茶店(舎那殿前の松下に茶店を開く)
松下点茶過客新
一銭売与一甌春
諸君莫笑生涯乏
貧不苦人人苦貧
松下に茶を点ずれば 過客 新たなり
一銭にて売与す 一甌の春
諸君 笑ふなかれ 生涯の乏しきを
貧は人を苦しめず 人 貧に苦しむ
(訳)松の樹の下でお茶をいれているとすぐに新しいお客がやってくる
たった一文の銭でお売りするのは、茶碗一杯の春
諸君、私が生涯貧乏であることを笑ってくれるな
貧乏が人を苦しめることはない、人のほうが貧乏に苦しむだけなのだ
これもまた結句が深いですね。貧乏自体が苦しいわけではない、貧乏を苦しいと思うから苦しいのだ、というわけです。金持ちにこんなことを言われたら殴ってしまいそうですが、貧しさの中で自由を楽しんだ売茶翁に言われると、うなってしまいます。こういう生き方、憧れるけど、無理だなあ。
@sumi さんの記事のおかげで、売茶翁の詩の面白さを再発見できました。昔読んだときはそんなにはまらなかったんですが、今回読んでみたら思っていたより面白かったですね。これって歳のせいでしょうか。